尾道のもうひとつの裏の顔
尾道に西国寺という寺がある。西国一の大寺であり、国の重要美術品(文化財)の宝庫であり、真言寺醍醐寺派の準本山である。
今、徳島大学の学者グループで、この寺の「古文書」が解読されている。
その中で、織田信長の調伏がこの大寺で行われた、とある。調伏とは、人を呪い殺す「真言密教の術」である。
今でも、昔からでも真言密教は、どろどろとした人間の最も暗部の欲望を開放する宗教である。人を生かすことも、人を殺すことも宗教の重大な役目である。後醍醐天皇の南朝はあの吉野山で、又、京都の各大寺で、北朝の光厳天皇を呪い殺す”調伏”を行った。
この”調伏”の儀式がすごい。これを見たものは、人間の欲望の強さを、怨念の恐ろしさを感じるはずである。だから信長は光秀に本能寺で殺されたのだ。これこそ西国寺の偉大さを証明するものではないだろうか。
徳島大学の学者グループが今だ解読進行中で、もっと不思議なことが発見されるであろう。
もうひとつの尾道の裏の顔
尾道に常称寺という時宗の寺がある。この寺も本堂、観音堂、大門、鐘撞堂、一遍上人絵巻など、国の重要文化財の宝庫である。国宝の寺、浄土寺、西国寺、常称寺の中でこの常称寺は不思議な寺である。
時宗の開祖一遍上人は、鎌倉仏教の一訓であるが、この上人、「全てを捨てること」そして「南無阿弥陀仏」と称することによって生かされると唱えた。人間の欲望を満たすことはできない。ただ不思議な称号、「南無阿弥陀仏」を唱えることによって生かされる。そして最期にはこの称号さえ捨てるというすさまじい宗教であり、旅を友として一生を終えた上人である。だから遊行上人と呼ばれる。その後の宗教も御多聞にもれず、寺を持ち、仏像を拝するという普通の宗教になったのである。
がしかし、旅をして念仏を唱えるというのは、遊行衆、時宗衆として公認されたのである。徳川幕府は、この時宗を利用し、「幕府の隠密」の仕事を与えたのである。
楽しいではないか。この常称寺は、時宗の古頭であり、この寺が隠密の基地であった。その伝説が尾道に残っている。常称寺の古文書が沢山出てきたが、今だ解読されていない。
徳川時代ほど諜報が発達した時代はない。幕末、英国公使、A.B.ジドフォードが英国外交官の見た「幕末明治維新」の中で書いているが、他の国に見られない程、スパイの活躍がすごい国、と書いている。この常称寺が「スパイ」の寺であったというのは尾道の裏の顔であって、実に面白い。
又、この時宗は「尼」を認め、男女区別無く尼、僧を沢山抱えていた。沢山の女性が仏門に入ったという。女性の苦しみを救った宗教であった。
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