記事「尾道と荒木村重」についてご意見ありがとうございます。 せっかくコメントくださったのに誠に恐れ入りますが、私の操作ミスにより、最近のコメントは全て削除してしまいました。 申し訳ございません。 コメントが無くなったことにつきまして、どうか、気を悪くなさらないようお願い申し上げます。 さて、くださったコメントについて、記事本文で返答致します。 荒木村重について、私の地元でも研究が盛んです。 しかし本質的な謎、「何故村重が反逆したのか」は解かれていません。 信長は村重が反逆したのが信じられなくて、何度も間違いではないのかと思っていたようです。というのも、信長の最愛の側室であった吉野の先夫の子を村重の妻にさせたこと、次いで摂津、伊丹という上国を与え、最も信頼する部下の一人として扱かっていたからです。 その村重の妻「ダシ」に子供達も生まれて、信長との縁もさらに深まりました。信長の後継者である信忠にとって村重の妻は姉であり、親しく一緒に育った仲でした。 その「ダシ」の夫村重が、義父の立場にある信長に反逆したのですから、全く信じられなかったでしょう。「信長公記 」での村重の記事に異常さがあります。
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このブログは作者の個人的な体験、知識や雑感による私的ニュースサイトです。作者への連絡はinfo[at]sake-hamaoka.co.jp([at]を@にしてください)からお願いします。18
2011
尾道に邪馬台国の女王、卑弥呼の墓がある!?
不思議な神社を見つけた。 この神社は、以前尾道歴史新聞の記事、「尾道にチベットのポタラ宮がある」で取り上げた、「西提寺」のすぐ隣にある。 ここに神社があるのには、いわくがあるみたいで、日本書記や古事記に登場する、垂仁天皇の息女である、倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神の神託を受け、神通力を得、数々の功績を残した後、終焉の地として選んだ場所、と記されている。
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2011
尾道に「天の岩屋」がある!! <歴史都市尾道の謎>
日本書紀、古事記に記されている「天の岩屋」または「天の岩戸」。これが尾道に隠されていたのだ。 尾道には四箇所に、巨石による遺跡がある。 尾道は3つの山に囲まれた街だが、それぞれの山、千光寺山、西國寺山、浄土寺山には玉の岩と鏡岩、タンク岩、不動岩があり、尾道の街を守るかのように配置されている。 そして、この三箇所の岩が見ている先には、尾道の向かいにある島、向島の岩屋山にある岩屋巨石がある。はるか古代に、このような巨石をそれぞれ山の上に配置した人物とは、当時のかなりの権力者だったと思われる。 しかし一体何故、このような遺跡を残したのか、そして遺跡を造らせた権力者とは何者なのか、 この謎を解明しようとなさっているのが、尾道大学の稲田教授である。 稲田教授の著書「隠された神話・歴史都市 尾道の謎」(発行:尾道市)に、 何故違う場所にある三つの寺が岩屋山を向けて建てられたのか?岩屋山は不思議な山である。三古刹が向いている岩屋山。初めは岩が多い山というのが印象だったが、フィールドワークを重ねる度に新たな発見と出合った、四山の中でも特筆すべき山だ。 と記しておられる。
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2011
°恋多き女、林芙美子°-尾道ゆかりの人-
6月、梅雨空に咲く紫陽花(あじさい)を林芙美子は好んでいた、ということで、 6月は「紫陽花忌 」と云って「林芙美子を偲ぶ会」が開かれている。 林芙美子にはれっきとした手塚緑敏(通称ロクさん)という夫がいながら恋人が沢山いた。そのうちの一人に、シベリア鉄道一人旅でヨーロッパまで会いにいったこともいる。 戦後あるルポライターが2週間かけてシベリア鉄道に乗ってヨーロッパに行ったが、心細く心配で辛い旅だったと語っていたが、恋に身を焼く芙美子にとってはわくわくする旅であっただろう。 しかし、この芙美子よりもっと凄い女性がいた。芙美子の母である。
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2011
「春雨じゃ濡れていこう。」尾道縁の文学者、行友李風
行友李風(ゆきとも りふう,1877~1959) 「春雨じゃ濡れていこう」、と傘もささずに飲屋街を歩くと「月形半平太」「行友李風」は忘れられても、この言葉だけは我々の口に残されている。 額に月形の傷を持ち、正義の味方、月形半平太を生み出した男こそ行友李風(尾道市土堂生まれ)である。 この月形半平太は、幕末の坂本龍馬の先生であり、同士でもある武市瑞山(武市半平太,1829-1865)がモデルであるとされている。武市は幕末、土佐藩郷士、剣道に優れ、江戸桃井道場の塾頭を務めた男。 何せ「かっこ良い」この月形半平太の生みの親が尾道の生まれであり、若くして藍商の家業を継ぐが破産、大阪に出て新聞記者になる。沢田正二郎の新国劇の専属作家になり、数々の名作を発表している。




